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 また、子供自体がよい子であろうとして成長してきたことで、親の期待に応えたいと一生懸命に苦しんでいます。こうなると子供は自分の適した人生を歩めなくなり、無意識的葛藤で心を壊していくことになります。子供は、親からの直接的要求や、間接的要求に応えなければいけないという強迫観念さえ持つようになり、それを自分が満たせないときには苦しみます。直接的要求とは、具体的にこうして欲しいと子供に向かって親が気持ちを伝えることで、間接的要求とは、子供の前で人を誉め子供に自分もそうでなければいけないと思わせ親の要求を伝えることです。これは子供が勝手に親はこう望んでいると勘違いする場合もあります。

 どちらにしても、子供が生まれもった適性を重視した自らの選択ではなく、親や自分とかかわる周りの人々の意向で生き始めたとき不幸が待っています。

 子供が親を不孝にすべきではないように、親たちも子供を不孝にすべきではないのです。

しかし、育ててやった見返りに子供の真の幸せを奪い取っているような親たちがあまりにも多いのです。人情という理屈を盾にして周りの同情を勝ち取り、子供を責めています。こんなことでよいのだろうかと考えさせられます。こうした親たちは、子供は親孝行してあたりまえだという信念で自分の要求だけを押し付けてくる。そのような要求が時として子供の人生を狂わせるという自分の間違いに気づいていません。

 または、親の価値観を押し付けることで子供が幸せになると思い込んでいることもあります。親が意図的に子供を困らせてやろうと考え、そうしているのであれば、子供はそんな親を無視して正しい道を選択しても心を痛めることはさほどないでしょうが、意図的でない場合は苦しむ親を見て後ろ髪を引かれる思いで親のもとに立ち戻ることになります。

これでは親子両方の人生が壊れてしまいます。子供にしてみれば、親が死んだ後にもう一度人生を修正するチャンスもあるでしょうが、その失った時間の犠牲は余りにも大きいといえます。親にとっても正しいあり方、考え方を悟ることなく人生を終わってしまうことになり、取り返しがつかない人生になってしまいます。双方よく考えて、どちらか一方でも意昧のある人生を選ぶべきだと思います。

 親が子供を育てるということは、親が一方的にお金を使い犠牲を払って育てているということではないのです。子供という存在があってこそ、そして育てるという行為があってこそ得ることができる貴重な様々な体験を通して親は多くのことを学び、幸せを感じ、そして人問として成長することができるのです。子供に対し育ててやったと恩に着せる親たちは、子供が存在することによって本当は子供に対し感謝することが、いかに多いかを気づき得なかった不幸な親たちなのです。心の充足感を体験できなかった不幸な親といってもよいかもしれません。

 そんな親たちは、仮に子供が成長し離れていったとしても、他人に同情を買う資格はありません。子供に見放され寂しい老後で苦しみながら人生の反省をする必要があると思っています。まだまだ人生の成長過程で学ばなければいけなかったことを学び終えてはいない大人たちなのです。子供にとって、このような親に育てられたことが不幸であった上にこれ以上親の犠牲になる必要などないのです。しかしながら、人情に負けて親に犠牲を払う人生を選択し、気づかぬうちに心の病に陥っている人が多いのが現状です。

 このような状況から作られた心の病を治すためには、白分が置かれている心理的環境や考え方を客観的にそして正しく把握して、今後その環境のなかでどのように祈り合いを付けていくか、変えていくかの決断ができるように指導することも必要になるのです。

 また、自分が今何をしたらよいか分からない。そう悩み立ち止まっている若い人がいます。特に親の期待に応えながらよい子で育った場合、そのような状態に陥ります。自分の将来が見えないのでどのような努力をしてよいか分からないと苦しんでいます。しかし誰もが、若いときから白分がどのように生きるべきか、どのような生き方が向いているのかなど分かるはずがありません。死ぬまでの答えが、見えるような人生などないのです。

 しかしながら、子供のときから親や親族に期待されて育った場合、しかも多少なりともその期待に応えてきている場合など、自分の人生よりも周りの期待を基準に将来を考えるようになっています。こういった落とし穴にはまると、もう白分の人生が見えなくなってしまいます。

 何をしていいのか分からなくなったとき、今自分ができることで心が動くものに真剣に取り組むことです。将来が見えないのだから、何をしていいかと考えても答えは出ません。

しかし、人生とはよくできたもので、今与えられていること、できることを理屈抜きでしっかりとこなしていくうちに、道が開け、必ず何かが見えてくるものです。

 それでは、心の病が治っていく過程と、そのなかで最も重要な、症状を作り出している背景と原因をこの後に様々な具体例を交え詳しく説明していきます。関心がある部分だけを拾い読みされても理解を深めていただけるように書いていきたいと思います。ですから、いくつもの実例の中で重複して説明していることも多々あるかと思いますが、ご理解ください。

 また、心の病における症状のありかたは限りなく、こんな悩みや症状が現実あるのかと思われるほどです。本書においてはそのうちのほんの一部しか紹介できませんが、本質的にどのような心因的な症状も無意識からの何らかの働きかけがあり、心身の障害を作り出しているとご理解くださ誤解がないように付け加えておきますが、心の病で苦しんでいる症状は、どのような理由で起こっているか、症状が起こった原因やそのまた背後にある原因とは何かを見い出すことだけで症状が消え、心の病が治るわけではありません。それだけで改善する場合も稀にはありますが、どちらにしてもどうしてそうなったのかに気づき理解することが第一歩なのです。そのうえで前に書きましたように催眠(トランス)状態で心をほぐしながら現状に打ち勝つ力を養っていきます。もちろん心の病を治す方法は他にもたくさんあるでしょう。そしていろいろな意見もあることでしょうが、私は様々な制約の中で短期問(短時間)で心の病を治すためには私自身が主張する催眠療法のやり方が優れていると白負しています。

 また、原因を明確にすることは、病状の再発を防ぐこと、いわゆる予期不安(過去そうだった同じような状況で過去の症状がまた起こることを恐れ、不安が症状を作り出す状態)を起こさないためにも必要なことなのです。予期不安が起こると、再発してしまったとか、まだ治っていなかったという誤解が生じて、原因から起こる症状ではなく、不安によって作り出された症状に苦しむことになるからです。

第1章・・・・・・終り。 

次ページに付録(自己催眠・他者催眠)を掲載します。