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 もう一度、幼少期に親によって虐待を受けた子供の場合を例にして考えてみましょう。

 親という存在は子供にとって切り離せない親密な、そして絶対的な依存の対象であります。その自分を保護してくれるはずの親からの虐待は、大人一般や環境に対する子供の信頼感を著しく阻害し、自分を取り巻く環境は安心できないものであり、そこに存在する他者、とりわけ自分にかかわってくるものは、いつ自分を傷つけるか分からない危険な存在だという対象イメージを形成することになるのです。

 こうした「攻撃を受け、傷つけられる存在」としての自己イメージと、「自分を責め、暴力を向けてくる存在」としての対象イメージとの間には、攻撃的で虐待的な関係が存在することになります。そして、現実に環境内でなされた行為が、こうした「虐待-被虐待」という枠内で認知されることになり、虐待によるトラウマを抱えた人は、本来はそうした意図のない中性的な他者の行為を虐待的なものとして認知する傾向を示すようになるのです。

 例えば、母親または父親が、いつも不機嫌な表情で、そのときの感情に任せ子供を殴っていたとすると、不機嫌な表情をした親と同年代の人が自分の周りにいることに気づいたとき、殴られるのではないかと不安で怖くなり、脅えるようになってしまいます。

 このように、これまでの経験によって、何ら害がない相手と自分との関係の基本概念が、トラウマの影響によって変容します。そして、変容した概念が、トラウマを生むような剌激ではなくても、トラウマチックなものとして認知され、そこにトラウマとなった人間関係や出来事、当時の心情が再現され苦しむことになるのです。

 また、人間関係の些細なことに怒りが込み上げてきたり、恐怖感や緊張が起こったりして自分では苦しんでいるのに、周りの人にとっては不可解で理解しがたいがゆえに、迷惑がられて相手にされなくなることさえ生じます。

 さらに、些細な刺激をきっかけに激怒したり、もしくは強い悲しみや抑うつ感を訴えたりする人もいます。欲求不満や悲しみを覚えるような事態において、怒りの感情を爆発させ、一種のパニック状態に陥るという傾向が見られることもあります。このように、トラウマを受けた人には感情のコントロールの障害も生じてきます。

 感情をコントロールできないという問題には、ふたつの要因があります。

 ひとつには、現在の対人関係などにおける何らかの剌激が、トラウマとなった過去の出来事を彷彿させ、現在の状況とは関係のない心の反応を無意識のうちに引き出してきます。こうした場合、その人は、現在の状況とは無関係と見られるような感情や情緒を表現することになり、周囲にいるものはそうした表出を、コントロールを失った不適切なものと認知することになってしまいます。

 もうひとつには、トラウマを与えるような養育環境が、感情の調整機能の発達を阻害する可能性があるといえることです。人間の感情調整能力は、養育者と子供との関係の中で育まれ発達していきます。出生後間もない乳児は自分で感情をコントロールする能力を待っておらず、快、不快のいろいろな感情を直接的に表現することは言うまでもありません。そうした乳幼児が怒りや悲しみなどの否定的な感情を表現している場合、親などの養育者がその子を落ち着かせるために声をかけ、やさしく慰撫することによって、子供は次第にその感情をやわらげていくことができるようになります。このように自我が自分の感情を調整するという能力を未だ備えていない幼い子供にとって、あやしたり、なだめたり、触ったり、抱いたりといった養育者のとる様々な行為が感情調整機能を提供することになっています。感情調整機能の提供は、否定的な感情に限ったことではなく、例えば子供が喜んではしゃいでいるときには、養育者がその子供に同調することで、子供の過度な興奮は調整されます。

 親子の心の交流やスキンシップが十分に行われなかった結果がストレスに弱い、トラウマに弱い体質を作り出していくと考えられます。

 乳幼児期に家族など身近な人によって受けた苦痛は、自分以外の他人を同じように自分に苦痛を与える存在として無意識的にみなすようになります。もちろん意識的には自分に苦痛を与えた人物とそうでない人との区別はついていたとしても、無意識的には自分以外の全てが対象になってしまうように対象が広がっていくのです。それが対人恐怖・緊張を作り出すこともあるし、人間関係に様々な支障をきたすことになります。

 しかし、子供時代に自分が置かれている環境が辛いものであるという自覚がない場合もあります。そのような場合は当時のトラウマを意識では認知できなくなっています。こういう人の場合は、催眠面接により、心の深い所に抑圧されているトラウマを気づかせてやらなければトラウマは解放できません。催眠療法(トランス状態)の中で、無意識の中に抑圧されたトラウマをその上層部に引き上げ意識化させることで、トラウマは徐々に解消されていきます。そうしてさらに自分自身を客観的に見られるようになり、今までの一方的な親または他人への満たされなかった要求がほぐれ治まってきます。どうでもいいやというこだわらない気持ちが芽生えると同時に過去に縛られることなく、未来に目を向けることができるようになってきます。

 トラウマの苦しみは、トラウマを受けたものしか分からない。特に人間関係で起こる症状は、自分の意識のコントロールを超えたところから襲ってくる感情や観念に耐えなければならないと思っても耐えられないのです。周りの人たちから、どうしてそうなるの、もっとこういう風にすればよいのにと言われてもそうはできないのです。トラウマの影響で自分の中から襲ってくるある感情を抑えることは意識の力だけでは不可能といえます。