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 子供の頃に親から十分に愛されなかったり、無視されたり、言葉の虐待を受けたり、家庭内での暴力などのトラウマを体験した人は、自分は重要な存在でなく、愛される価値のない人間、必要とされない人問だと感じてしまいます。親から虐待を受けた場合、子供にとって親はかけがえのない存在、頼らざるを得ない存在であるだけに、親が自分を愛してくれない、守ってくれないということに対して絶望感や拒絶感が植えつけられることになります。子供にとって親は絶対の存在であり、その親からの仕打ちはきわめて強力に子供の心に傷として刻み込まれます。その結果、子供は「自分は存在価値がなく、人に攻撃され、傷つけられる存在」というきわめて否定的なアイデンティティー(自分自身、個性)が形成されてしまいます。否定的なアイデンティティーを持った子供が、自分に有能性や価値を感じることができなくなってしまうことは当然であると言えます。


 トラウマによる否定的なアイデンティティーを形成した人(自己否定を無意識的にするように育っていった人)は、心の病に陥りやすくなってしまいます。心を健康に保つためには、自尊感情や自己受容が必要なのです。言いかえれば、人は、両親、家族を始めとする対人関係の中で社会化されながら自我発達を遂げて育っていきます。そうした中、自己への価値観が育たなければ、その人の言動や意識態度において否定的になり、自分自身の存在そのものが価値あるものとして、自他ともに評価されなくなってしまいます。 したがって、そのような人は積極的に、意欲的に、経験を積み重ね、満足感を持って人生を生きていくことが、時としてできなくなっていきます。こうしたことは、親が温かい愛情でもって子供を受け入れ育てなかった場合に起こってきます。親が子供にかかわらない場合や、常にかかわっていた場合でも、子供がこうして欲しいと訴えていること、求めている感情を親が理解できず、耳を傾けずに欲求を満たしていなければ、かまっていないのと同じ結果を生みます。子供の成長と共に自我が発達していくと、それまでのように親の価値観を一方的に押しつけることができなくなります。そうなると価値観の相違で親子での言い争いが多くなっていき、子供は親に反発しながら、苦しむようになっていきます。


 また、人は多かれ少なかれ自分でも認め受け入れたくない感情や特性、境遇、運命などを有しています。これらをどのように受け入れていくかが問題で、単にそれらを否認し、受け入れ難く、苦しんでいては、人生は開かれることなく壊れていきます。このように自己のもって生まれた全ての要素、環境を受け入れることができない人は、特に子供時代に家庭環境で満たされずに過ごした経緯があります。自分をありのままに受け入れて、人生のいろいろな問題を前向きに取り組むことができなくなってしまいます。


 もし、このようなことに満たされているとき、人は何かにつまずいて、自己否定に陥りそうなときでも、客観的に自分を見つめ、一面においては自分の欠点・弱点を認めたとしてもそのことで自己の全面否定にいたることはなく、自己の欠点を補いながら頑張って生きていくことができるものです。自分が置かれている状況やストレスの原因を客観的に把握して、対処していけるのです。例えば、人に嫌われたとき、または相手の態度でそう感じたときに、「わたしはダメな人間だ」とか「どうせ私のことは誰も分かってくれない」「私のことを好きになる人などいない」と全面否定せずに「わたしのこういう面が嫌われたのだ。だから、このように努力していけば自分のことを、皆ももっと分かってくれるようになるだろう」と冷静に客観的に自分を見つめ直し、努力することが必要なのです。


 決して相手を責め、自分自身をも責めることがないようにしなければいけません。このような心の持ち方が対人関係を含め環境に適応し、心の病を引き起こすことなく過ごせるのです。しかしながら、幼児期のトラウマによってどうしてもそのように考えられない心の癖を持ってしまっている人たちは、そのトラウマをほぐし、解消していかない限り、そうしてはいけないと頭で分かっていても、自己をコントロールすることがどうしてもできません。


 また、虐待を受けて育った場合は、人間関係において、無力感を持つような事態に直面すると、子供時代の虐待的な人間関係において感じていた圧倒的な無力感を再び持ってしまうことが多いのです。この絶対的な無力感への反応として、強い攻撃性や憎悪が生じてしまうのです。こういう感情的反応が、周りには理解できず摩擦が生じるので、自分自身も傷つき、周りをも混乱させていきます。子供時代、親から様々な精神的・肉体的虐待を受けたことで、自分にかかわってくる好意的な人に対し「故意に」としか思えないかたちで、相手からの暴力的、攻撃的なかかわりを引き出してしまうことがよくあります。相手のちょっとした言動に自分なりの解釈を加え、感情的に攻撃を仕掛ける場合も多く見られます。客観的に自分を見ることができず一方的に自分の理論で相手を責め続ける場合もあります。感情が治まらない限り、決して相手を理解しようとはしないのです。ゆえにお互いの言い分は平行線になっていきます。その結果、自分に無力感を感じた場合は、相手に嫌悪感や憎しみを抱きながら自らも深く傷つきます。しかしながら、時間が経つにつれ自己反省も起こってくることもあります。もちろん全ての内容や程度は、個人差があると理解してください。


 こうしたトラウマの再現性は記憶や認知、感情というレペルから行動や対人関係というレベルまで様々な領域で観察されます。


 トラウマの再現が、行動および対人関係レベルで起きた場合は、その人を取り巻く様々な人や対人関係を巻き込んでしまうので、その人と、その周囲に存在する多くの人に苦しみと痛みを与える結果になってしまいます。


 トラウマの体験が、自分にとって親密な関係のある人々から与えられたものであり、また、それが発達の初期段階において生じた場合には、その人の基本的信頼感の発達にきわめて深刻な影響を与えることになります。