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生い立ちの秘密によって人生の方向性が決定付けられたのか、逃れようがないそうした宿命で生まれてきたのか・・・。
精神的苦悩の中でのもがきとそれゆえに達成できた自己錬磨によって、ライフワークを見出していく・・・。
ただ、そこには、不思議な運命的な出会いや展開があった・・・。 ナラティブカンパニー 井手無動

心を救う独自の催眠療法
確立までの奇跡と脳科学

●催眠療法は本当に効果があるのか?

 うつ病などの気分障害、不安障害などの心の病を抱えている人が増えている。
 厚生労働省の「労働安全衛生基本調査」によると、企業の産業医が関与した業務のうち、メンタルヘルスに関する相談は平成22年で34.9%。同じ調査で平成17年が18.2%というから急増していることがわかる。病院に行かず、ひとりで心の病に悩む患者まで含めると、この割合はさらにふくれあがるだろう。
 そんな心の病に取り組み続けているのが催眠療法家・井手無動だ。1978年、福岡で「マインド・サイエンス」を立ちあげ、催眠療法を使ったカウンセリングで数千人の相談者と向き合ってきた。
 しかし、心に不安を抱えていたとしても、すぐに催眠療法を受けようと考える人は少ない。「心療内科でも改善しない」「対人緊張で仕事ができない」など、藁にもすがる思いで催眠療法に行き着いたとしても、「本当に効果があるのか」と半信半疑になるもの無理はないだろう。
「催眠」にマイナスイメージを抱く人が少なくないことを、井手は十分に理解している。それでも心の問題に取り組み続けてきた。
「これまで民間療法としておこなわれてきた、暗示を与えて症状を消すという催眠療法では、心の問題を根本から解消できません。一時的に暗示でおさえることができても再発するか、別の症状に変化することが多かったのです。また、催眠に入りにくい方はどうしようもありませんでした。こうした問題をどう改善するかが一番の課題でした」
 井手は脳科学の研究から、課題を解消する斬新な方法を考案した。

●「心」を知ることに没頭した人生

 催眠との出会いは子ども時代まで遡る。小学6年の終わりに父親を亡くしたとき、それまで母親と思っていたのが伯母であることを知った。実母は3歳になる前に家を出ていた。伯母に気を使い、甘えることに躊躇する思春期を過ごすことになる。中学に進んでからも実母に捨てられ、父が亡くなり、しかも養母だという複雑な思いは消えなかった。
「よく考えてみれば、父は母のことを姉さんと呼んでいましたが、一緒に生活する家族が多かったのと、まだ幼かったので夫婦とはどういうものか知らなかったのです」と、井手は当時を述懐する。
 友人と違う境遇に悩み、苦しみに対する答えを本に求めた。「心にあるモヤモヤとした、言葉にできない気持ち。その実態をとらえたい……」。多くの本を読みあさるうち、催眠という世界があることを知った。 しかし、トラウマという言葉はまだない時代。やがて、ヨガや瞑想にも関心を抱くようになり、26歳から数年間、インドに何度も訪れている。そのころ知人から紹介された霊能者に奇妙な宣告を受けた。
「あなたは43歳で人生の転機を迎える。用心しなさい」。
 井手がこのことを育ての親に話すと、「あなたが生まれて間もなく何人かの修験者から、普通に生きれば43歳が寿命だと聞いていた」と打ち明けられたのだった。

 30歳になると自身の「潜在能力の理論」を試すかのように、催眠とはまったく異なる実業で会社を起こした。この経験は後に有益な価値を生むことになる。経営的にも飛躍的に成長し、社員100人を擁していたが、接待や出張が増えるにつれ、身体への負担も大きくなっていった。39歳のとき、転げまわるほどの痛みが心臓に走る。
「これで死ぬかもしれない・・・・・・」
 来るべきときが来たと覚悟したとき、頭に浮かんだのは身体と心を鍛え直したいという思いだった。真冬の滝行クリックすれば拡大します。積もった白い雪と岩場のつららが見えます。中心は井手無動
「このまま死を迎えるのは自己の魂にとってだらしない。せめて鍛え直して死のう・・・」
 井手は会社を整理した。

 それからというもの、行者が修行したといわれる背振山で連日休みなく滝行に励んだ。心臓に負担をかけるため自殺行為に等しかったが、やらずにはいられなかった。
「行に破れるぐらいなら、このまま死のう」
 そう開き直るとなぜか痛みは引いた。やがて、「これは肉体の問題ではないんじゃないか。何かに試されているのではないか」と思うようになった。
 それから3年が経った冬の日も、滝行の途中で胸に激しい痛みが走ったが、腹をくくるとスーッと治まった。
 このとき、「生かされている命なのかもしれない」と直感したという。滝行を終え、「命をもらった。まだ死なない」という確信が生まれた。
 その日、井手は「人生の転機を迎える」と宣告された43歳になっていた。
40歳に入り独り滝に打たれて瞑想していた“花乱の滝”の風景が見れるサイトLinkIcon

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